世界遺産“熊野古道”2013-03-01 Fri 10:31
大阪国際音楽コンクールの事務局は、ご存知の通り大阪・阿倍野にありますが、この周辺を見回すと色々な歴史的なものが結構あります。
その一つに、2004年世界遺産に登録された“熊野古道”の紀伊路が事務局の真横を通っています。 出発地点は、天満橋にある八軒屋船着場。 昨年、クロイツベルガー教授が来阪されたとき観光で乗ったダックツアーの乗り場辺りです。 昔は京都から熊野詣をするのに、そこまで船で来て陸路を南へ進んだそうです。 ちょうど大阪城の西側で、6月8日に中野振一郎先生のチェンバロサロンコンサートを行うお店『パスタフルカフェ マリアン』もこの近くです。 そこから、細い道を長堀通りのすぐ北までまっすぐ進んだら、後は東へ西へ折れながら空堀→上本町→四天王寺→阿部野橋→松虫→万代池→住吉大社…と進んでいきます。 その道の各所にはちゃんと熊野街道という来歴碑があり、天満橋からの距離も記されています。 事務局のすぐ近くが松虫ですが、その道を進んでいくと陰陽師で有名な安倍晴明神社や阿倍王子神社があり、よく利用する郵便局の名前も“阿倍野保名郵便局”と安倍晴明さんの父親の名前そのままがつけられています。 住所の“王子町”もこの関係でつけられたんでしょうね。 安倍晴明神社 阿倍野保名郵便局 松虫塚 万代池(春には、池の周りは満開の桜でとても綺麗) 熊野詣で設けられた九十九王子神祠で現存する神社は、この阿倍王子神社だけだそう。 (大阪市のホームページ) 阿倍王子神社から南へ少し行った所にある公園には、経塚跡と立札があります。 旧ホームページで載せていたものを、ここでご紹介しますね。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 上町台地にある阿倍野という地名のルーツは、この地域一帯を支配していた古代の豪族「阿倍氏」が有力であるといわれています。孝元天皇の皇子・大彦命が先祖で、歴史でもご存じ、7世紀中ごろ水軍をひきいて奥羽(東北)地方の蝦夷を攻めた阿倍比羅夫、遣唐使として派遣され帰国せず唐の高官となりベトナムにも赴任した阿倍仲麻呂、陰陽道のヒーロー安倍晴明なども名を連ねています。 阿倍野区一帯は茶臼山の南に続く墳墓地でもあり、丸山古墳や松虫塚、播磨塚、小町塚や帝塚山などと「塚」のつく地名は多くの古墳があった証し。「金塚」も古墳の一つで、明治期に発掘されたとき、金をちりばめた副葬品が出土されました。 阿倍王子神社は熊野詣への街道「熊野街道」に位置する、熊野大社(本宮・新宮・那智山)の末社。そこから「王子」に土地の名前をつけて阿倍王子と呼ばれるようになりました。その隣にある安倍晴明神社は阿倍王子神社の末社で、2005年9月26日は『安倍晴明没後千年』で、千年に一度のビッグイベントが行なわれました。 (参考:阿倍野広報誌) 雑記
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